LUMINEの1枚のポスターから生まれたショートストーリー。 夏を迎える前のあなたの、呼吸が少しだけ深くなる。 そんなヒントがあるかもしれない小さな小さな物語です。
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第1話

こちらはカモメ

カモメが宇宙を飛んだのは、1963年のことだった。軍人ではない宇宙飛行士は世界で初めてで、26歳の女性だった。カモメという愛らしいコールサインを持ったテレシコワ。
今から55年前に、彼女はたったひとりで宇宙を飛んだのだ。

さすがにおしりが冷たくなってきた。ハイスピードで流れる雲を眺めていたら、もう30分が過ぎようとしている。春が近づいているとはいえ、朝の公園のベンチに座っている人なんて、誰もいない。テイクアウトしたコーヒーも、とっくに湯気が立たなくなっていた。

今日は、仕事するの、やめよう。 昨夜は持ち帰った仕事に手こずり、朝、大慌てでシャワーを浴びた。遅刻ギリギリの電車に飛び乗った瞬間、わたしはそう決めたのだ。なんだろう。ちゃんと理由があるといえばあるし、それらは理由じゃない気もする。
とにかくわたしが胸を張って言いたいことは、こんなことは初めてだということと、明日は仕事するということだ。

さて。 わざと声に出してみた。そう口にしたところで、ノープランには変わりがない。立ち上がってスカートのおしりをパンパン叩くと、わたしの前をスケボーで通り過ぎていく少女がいた。
まだ10歳くらいだろうか。右足で地面をキックし、肩まである髪を風になびかせている。表情は真剣そのものであり、いっちょまえに気持ちが良さそうだ。自分のことは棚にあげて学校はだいじょうぶ?と心の中で聞いてみる。彼女の背中には、Let's Go To Space!と大きな文字が書いてあった。

小さなスケーターを見送ると、わたしはなんだか、楽しい気持ちになっていた。NASAのお土産コーナーとかで売っているパーカーなのだろうか。宇宙に行こうよ! って。わたしは無性にYes!と答えたくなっていた。
空になったカップをゴミ箱に投げ入れて、スマホで時間を確認する。1008分。本日の通勤ラッシュも無事に終わった頃だろう。これから宇宙を目指そうじゃないか。

日本の実験モジュールきぼうがある国際宇宙ステーションは、400㎞の高度にある。宇宙の定義はいろいろだが、大気圏を突抜けたら、人間の生存に必要な空気はほぼなくなる。空の青は闇に変わり、地球の丸いふちが見えてくるらしい。
いまわたしたちが立っている地点から、100㎞離れた場所には、立派な宇宙が広がっているのだ。

1030分新宿発の特急かいじに乗り込む。100㎞圏外ならどこでも良かったのだが、スペースシップ気分を盛り上げるために、乗り換えのない甲府を選んだ。
窓際の席を確保し、ペットボトルの烏龍茶をごくりと飲む。自作自演の宇宙旅行にわたしは何をしたいのかと苦笑いしないわけでもない。
だけどいまは、考えるのをやめようと思った。その答えは、きっとすぐにはみつからない。そんなに都合良くはいかない。ぐんぐん過ぎていく景色の中で、それだけが自分の中で確かと呼べるものだった。

甲府に降り立つと、胸に広がる空気が清々しく感じた。駅前の広場には巨大な銅像があった。地球は青かったのガガーリンではなく、武田信玄だ。その上を、カモメではなくハトが悠々と飛んでいく。
信玄公は険しい顔で鎮座している。その姿を、わたしは宇宙飛行士と重ねてみた。コックピットに座って大気圏を突き抜ける。エンジンの爆音、激しい振動。すさまじい重力加速で椅子に押さえつけられる圧迫感。

女性初の宇宙飛行士になって、そのすべてを体験したテレシコワ。宇宙からの第一声でヤー・チャイカ(わたしはカモメ)と言ったのは、あまりに素敵な話だ。
信玄公の厳しい表情を見ていると、ふと感じることがあった。わたしは彼女の言葉を、とらえ違えていたのかも知れない。
まるでカモメになった気分だわとか、自由に飛ぶわたしはカモメよとか、そんな素敵な話だと思っていた。

This is KAMOME.
わたしはここにいますという、あくまでシンプルなミッションワードだったのだろう。 どこの場所にいたって、こちらはカモメからはじまるのだ。カモメであろうとハトであろうと、今、わたしがいる場所から、わたしのすべてははじまるのだから。
宇宙滞在時間18分。何も起こらないままに、わたしの宇宙飛行は終わりを告げた。せっかくだから、信玄餅でも買って帰ろう。お昼から山梨ワインも飲んじゃったりして。
甲府の街を歩きはじめたわたしの横で、ハトがふわっと飛び立っていった。

Written by Mariko Ogata

わたしの上にある空は、何度でも晴れる。

尾形真理子

クリエイティブディレクター/
コピーライター
おもな仕事に、LUMINE、資生堂、キリンビール、東京海上日動あんしん生命、日産自動車、
Tiffany&Co.など。
東京コピーライターズクラブ会員。TCC賞、朝日広告賞グランプリ他受賞多数。試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。(幻冬舎)で、小説デビュー。

蜷川実花

写真家、映画監督
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画さくらん(2007)、ヘルタースケルター(2012)監督。映像作品も多く手がける。2016年、台湾の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新した。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。

関谷奈々

アートディレクター
ルミネ シーズンビジュアルの アートディレクターを2014年から手がける。他にNEWoManのロゴ開発、KOSE、サントリー、LAWSONなど、グラフィックからパッケージのデザイン、ロゴ開発まで幅広く手がける。

八木莉可子

滋賀県出身。
雑誌seventeenが開催するミスセブンティーン2016のグランプリを獲得し専属モデルとして活動中。
ドラマ、広告に出演するなど女優として活躍の場を拡げている。

Special Short Story
One piece of a woman