LUMINEの1枚のポスターから生まれたショートストーリー。 夏を迎える前のあなたの、呼吸が少しだけ深くなる。 そんなヒントがあるかもしれない小さな小さな物語です。
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第3話

愛が複数になって

恋はいつもかもではじまる。副助詞のと係助詞の
この人、いいかも。
なんか、いいかも。
わたし、好きかも。
この瞬間のかもは、断定はできないけど可能性はあるよっていう意味じゃない。我を忘れてはいけないという、乙女の戒めってやつだ。

修の部屋は、駅から15分ほど歩いた住宅街にある。大学の飲み会で知り合って、ほどなく付き合いはじめた。大学を卒業するとき、
朝が苦手なんだから、もっと駅近に引っ越したら?
と言ってみたが、
便利でつまんないじゃん
と、なんともロマンチックで意味不明な答えが返ってきた。

お互い社会人になって4年目。
彼は食品系の商社で、スパイスの輸入が主な仕事らしい。最近はインドネシア語の勉強までしている。
わたしといえば、ネットニュースのライターになり、心にも時間にも余裕がない。それでもどうにか、やっと独り立ちしてきたタイミングだった。
平日はそれぞれ生きて、金曜の夜から週末を、修の部屋で一緒に過ごすことが大切な時間になっていた。

秋晴れという言葉は、夜にも使うのだろうか?
今夜は月がキレイだねー
と、修が言った。
金曜だというのにお互い残業で、駅前で餃子とビールの遅い夜ごはんを食べた。
わたしはいい感じにほろ酔いで、駅からタクシーに乗ろうと言ったのに、
こんな夜に歩かないなんてもったいないじゃん
と、却下された。雲ひとつない空に、月がふんわり輝いている。ヒールの音を不機嫌に立てながら、修のちょっと斜め後ろを歩いた。

修と出会ったとき、そのおだやかな空気感にひかれた。初対面なのに、なんでも話せる気がした。お酒がすすんで、みんな大騒ぎになっても、彼の声は大きくならずに、笑顔だけ増えていった。
そういえば、不機嫌な修は見たことがない。嫌いなものは意外にはっきりしていて、頑固なところもあるけど、不機嫌な態度をふっかけるのは、決まってわたしなのだ。

冷蔵庫からビールを取り出して、プシュッと開けた。
まだ飲むの?
だって歩いたらノド渇いた。修は飲まないの?
んー、じゃあもらうかな
なんで自分ちのビール、もらうとか言うのかな。自分のじゃん。そんな難癖をつけながら、はいと手渡す。
あのさ、話したいことがあって
と、修が切り出したのは、わたしが2本目のビールに突入したときだった。

土曜朝6時の公園は、思いのほかたくさんの人たちがいた。
カメラを持ったおじいさんたちが池のほとりに集まって水鳥と睨めっこしている。寝癖のままのお父さんが、娘たちを滑り台で遊ばせている。
娘たちはパンツ丸見えだけど、ちゃんと順番こに滑るのが愛らしい。は接尾語だ。複数の者が同じ行為を、交互にまたは同時に行うの意味。

ベンチに寝転がると、空に月が白く残っているのが見えた。昨夜、修が見上げていたのと同じ月だ。
月がキレイですねー
ため息まじりにつぶやいて、瞼を閉じる。
朝の光を眩しいくらいに感じるのは、きっと寝ていないからだ。
イ・ン・ド・ネ・シ・ア〜
わざと口に出してみても、まったくリアリティがわかなかった。

俺、転職する。最低でも5年はインドネシアになる
と、いつも通りの落ち着いた声で、修はわたしに告げた。
ジャカルタにあるスパイスのフェアトレードのための小さな会社。日本人スタッフに欠員が出て、修に声がかかったという。仕事を通じて知り、いつか自分も役に立ちたいと思っていたという。

どうすんの?
この一言を絞り出すのに、わたしは40秒ぐらいかかったと思う。びっくりし過ぎてビールがリバースしそうだった。
どうもしないよ
と、修は続けた。インドネシアを楽しめそうだったら、一緒に来てくれたら嬉しい。仕事も生活もあるから、ということなら、遠距離になって申し訳ない。どちらも嫌なら、話そう。
真っすぐにわたしの目を見て、急な話で、悪いけどと、修は頭を下げた。

迷いのない修の態度があまりにも無責任に思えて、わたしはハラワタが煮えくり返った。どうするの?は、修の話じゃない。わたしの人生どうすんの?って話だ。
30歳までには、結婚したいと思っていた。日本で。東京で。駅近のマンションに引っ越して。仕事しながら子育てして。
どうすんの? どうしてくれんの?
悶々としたまま夜が明けるのを待って、ひとり部屋を出たのだ。

白い月は、だんだんと薄れていく。 その様子を見ているうちに、自分のことばかり考えているわたしが、少し情けなくなった。
わたしが修だったら、どうするだろう? 想像すらつかなくて、まったくわからない。
だけど、修がわたしだったら、きっと応援してくれるのだろう。きっとじゃなくて、たぶん絶対。いや、たぶんもいらない。それだけは信じられる気がした。

夏目漱石は、I LOVE YOU月がキレイですねと和訳したという。それを知ったときなんたるロマンチスト!と驚いたが、少なくともわたしはあなたを愛していますよりは、近い気がする。同じ月を見て、キレイだねって言い合えるのはシアワセだ。もしかしたら、この餃子おいしいねでも、いいのかも知れない。

ベンチから立ち上がると、滑り台の向こうから、修が歩いてくるのが見えた。ちょっと熱そうに、両手にコーヒーカップを持っている。
やっぱり好きかもと思った。
副助詞のと係助詞の。これからの人生がどうなるのかは断定できないけど、相手を忘れてはいけないという、乙女の戒めってやつだ。

Written by Mariko Ogata

好きしかない恋なんて。

尾形真理子

クリエイティブディレクター/
コピーライター
おもな仕事に、LUMINE、資生堂、キリンビール、東京海上日動あんしん生命、日産自動車、
Tiffany&Co.など。
東京コピーライターズクラブ会員。TCC賞、朝日広告賞グランプリ他受賞多数。試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。(幻冬舎)で、小説デビュー。

蜷川実花

写真家、映画監督
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画さくらん(2007)、ヘルタースケルター(2012)監督。映像作品も多く手がける。2016年、台湾の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新した。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。

関谷奈々

アートディレクター
ルミネ シーズンビジュアルの アートディレクターを2014年から手がける。他にNEWoManのロゴ開発、KOSE、サントリー、LAWSONなど、グラフィックからパッケージのデザイン、ロゴ開発まで幅広く手がける。

八木莉可子

滋賀県出身。
雑誌seventeenが開催するミスセブンティーン2016のグランプリを獲得し専属モデルとして活動中。
ドラマ、広告に出演するなど女優として活躍の場を拡げている。

Special Short Story
One piece of a woman