LUMINEの1枚のポスターから生まれたショートストーリー。 あたらしい時代がはじまる 変化の空気をかんじながら、 自分のペースを整える そんな小さな物語です。
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第7話

カラスの足跡から平和がくる

すいませーん。コーヒーじゃなくてアイスコーヒー頼んだんですけど。ブラックで。
秋風も冷たくなってきたのに、温かいドリンクはイライラする。同じコーヒーなんだから、まいっかと思えない自分にイライラする。
29歳というお年頃は、性成熟期と呼ばれるライフステージに位置している。それなのに更年期と同じような症状がある気がする? 怒りっぽくなったり、毎朝着る服が決まらなかったり、自分に自信がなくなったりなんて、そんな傾向があるんだろうか。
わたしはそれを「性成熟期障害」と名づけることにした。

小さいテーブルの向こうには、ホットコーヒーを片手に黙っている男がいる。色白で細い金縁眼鏡がいまどきだ。
猫舌なんすか?とか、からだ冷えちゃいますよとか、コメントは一切ない。
まったく可愛げがない理由は、要はわたしに興味がないということだろう。
Smart Watchを横目で確認して、彼が伝票を取ろうとした。慌てて半分も残っているアイスコーヒーをコースターに置いて、
いいって。後輩なんだから
と、奪った。
このスマートな男こそが、わたしの性成熟期障害の元凶か。

わたしたちが勤める建築事務所は、いわゆるデザイナーズハウスをつくっている。
入社して半年間は、みっちり現場に出され、大学では学べない工程や知恵を肌身を通じて知る。
職人さんにはシゴかれたし、真夏のヘルメットは自分の頭と信じたくない臭いだったし、仮設トイレは男性用しかなくて毎度近くの公園まで走った。
7年経ってもその頃の自分を思い出すたび苦笑する。

コーヒーはホットしか飲まない新人も研修を終えて事務所にやってきた。職人さんたちからの評判がすこぶる高かった彼の教育係に、なぜかわたしが任命された。
いつ独立するんですか?
配属初日に一緒したランチでも、彼からされた質問はこのひとつだけだった。
えっ! そこ?
いつかの未来予想図では、30歳までに独立するはずだった。だけどもう1年もない。目の前の仕事にいっぱいいっぱいで、いつまでも消えない自分の未熟さに落ち込むばかりの日々。
ぽかんと口を開けたまま言葉に窮するわたしに、
食後のコーヒーでももらいますか
と彼は言った。学ぶことはないと早くも悟ったんだろう。

近頃はアラサーの友だちと集まると、メインディッシュはいつも仕事の愚痴になる。
使えない上司。失礼な後輩。欲しがりなクライアント。ありがちなネタに最近のわたしは笑えない。
友の笑顔に浮かび上がる目尻のシワに、自分の老化を見ているようで息が詰まる。
あの新人も友人と一緒にわたしの愚痴で笑うのだろうか。
順番待ちをしていたスポットライトは、もはやわたしをすっ飛ばして、いまは彼の頭上にある気がしてきた。

先に帰って大丈夫だよ
明朝の提案準備の途中で、声をかけた。彼と手分けしたから順調に進んだとはいえ、勤務時間を鑑みるのも教育係の役割なのだ。
本当に大丈夫ですか?
という一言にまたイラッとした。
メールで展開しとくからと、すぐさまPCに顔を戻す。
初めてチーフを任された仕事だった。50代の単身女性の狭小住宅。
わたしだからできること。こだわりをもってプランを練りたい。

結局明け方まで粘り、寝不足の秋晴れを迎えた。目の下のクマが映えるだろう。念入りにコンシーラーを叩くほど、ファンデのノリも悪くなった。年輩や同い年にいくら見られても気にしないのに、若者に見られるかと思うといたたまれないのはなんでなのか。
光が差し込む応接室で、プレゼンは流れるように言葉が出てきた。我ながら粘った甲斐はある。細部まで効率的に考え尽くした設計に、マダムも耳を傾けている。

以上がプランニングになります
新人がすっかり冷めてしまったコーヒーを淹れ直してくれた。
マダムがありがとうとお礼を言って、嬉しそうに口をつけるのをじっと見つめる。
いかがでしょうか?
わたしは拳を握りしめマダムの言葉を待った。
そうねぇ。こんなにぜんぶ、いらないかな……。あ、でも……
こんなに考えてくれたのだから、ちゃんと考えてからお返事するわと、マダムは申し訳なさそうに鞄に資料を入れた。

アイスコーヒー飲まないんですか。
その声をぼんやりと聞きながら思った。
なんでこいつとカフェなんかに来たんだろう。
ああ、そうだ。
デスクに戻った途端にからだの力が抜けて、次から次へと涙がこぼれた。
それを見かねた彼に連れ出されたのだ。
何も言わない新人に、もはやわたしは情けなくも救われている。

アイスコーヒーにストローを挿すと、めずらしく新人から口を開いた。
あのプラン、通る気がしますね
思いがけない発言に、
なんでそう思うの?
と聞き返す。
いいプランだと思ったからです
さらに思いがけなくて、心の底からびっくりした。そんなこと今まで一言だって、と大きな声を出してしまったら、彼が驚いた顔になる。
俺、無口なんで。
そうだったのか。
きみは無口だったのか。
そんなことにも気づかないで、なにが教育係だわたしは。
笑ってしまった瞬間に、今日の厚塗りだと目尻にファンデが溜まってしまう、と思わず指を当てた。
もういいや。そう思ったら、目の前の新人の顔が別人のように目に映る。
目尻にスタンプみたいについたカラスの足跡は、たくさん笑った証なのに、わたしはなにを見ていたのだろう。
いいって。後輩なんだから
伝票を慌てて奪ってニヤリと笑うと、わたしの性成熟期障害にも、ようやく平和がおとずれる予感がした。

Written by Mariko Ogata

平和は、わたしの中から。

尾形真理子

クリエイティブディレクター/
コピーライター
おもな仕事に、LUMINE、資生堂、キリンビール、東京海上日動あんしん生命、日産自動車、
Tiffany&Co.など。
東京コピーライターズクラブ会員。TCC賞、朝日広告賞グランプリ他受賞多数。試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。(幻冬舎)で、小説デビュー。

蜷川実花

写真家、映画監督
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画さくらん(2007)、ヘルタースケルター(2012)監督。映像作品も多く手がける。2016年、台湾の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新した。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。

関谷奈々

アートディレクター
ルミネ シーズンビジュアルの アートディレクターを2014年から手がける。他にNEWoManのロゴ開発、KOSE、サントリー、LAWSONなど、グラフィックからパッケージのデザイン、ロゴ開発まで幅広く手がける。

LALA TAKAHASHI

UNDERCOVERのデザイナーの父、元モデルの母を持つ17歳。
幼い頃より、トップクリエーターの感性とアートに触れてきたLALA。その独特のセンスと存在感で、モデルデビューするなり数多くのマガジンに出演し、it modelとして注目を集める。
注目は日本に留まらず、世界のメジャーなマガジンやメディアなどからのインタビュー、イベントやショーの出演など、世界で活躍中。

Special Short Story
One piece of a woman