第5話
緑の手の夢
「猫飼ってるの?」
スプーンを握るわたしの手を見て、リサが聞いてきた。
今日のランチは学食で、カレーライスに唐揚げをトッピングだ。午後の授業が終わったらそのままバイトが入っている。夜ごはんは、おそらく9時をまわるだろう。
「あたらしいバイト始めてさ」
ひとり暮らしは大変だねという風に、リサは首をすくめた。傷だらけの自分の指が、リサのピンクネイルのそれと比べて恥ずかしくなった。
「ひとり暮らし始めたらさ、猫飼いたいんだよね〜。ペット可の部屋みつかるかな〜」
リサ、絶対やめた方がいいよ。
喉まで出かかった言葉を、カレーと一緒に慌てて飲み込んだ。
「今日はオイルを。あと配送の準備も」
パート社員さんから指示をもらいながら、わたしはちょっと不安になる。
園芸ショップのバイトは、今日で10日目。
県内ではいちばん大きなこのショップには、1000を超える鉢があって小さな植物園のようだ。
わたしが担当するのは、室内用の観葉植物コーナーだったが、まだまだ覚えなきゃならないことが多くて、すーっと大きく息を吸い込む。
植物にオイル?
と、最初は怪訝に思ったけれど、考えてみれば人間の肌と同じなのかも知れない。乾燥から守り、害虫を防ぐ効果もあるらしい。
葉の裏や、新芽にもかけていいのか、幹にもかけた方がいいのか。
ベテランのパートさんに聞きながら、背が高いものには脚立にのぼって、恐る恐る散布していった。
覚悟はしていたが、なかなかの重労働である。立ち仕事だし、鉢はとにかくやたら重い。水をやった後は、なおさらだ。
もっと楽なバイトは、いくらでもあるだろう。それでもグリーンに囲まれていると、わたしは穏やかな気持ちになれた。
ここの店長は金髪で、商品の植物を「売れた」ではなく、「飼い主が決まった」と言う変な人だ。確かに植物も生き物だから、「飼う」という感覚は近いのかもしれない。英語にしたら、「keep」だし。
配送が決まったトックリランを前に、今日もコイツかと思った。
別名ポニーテールとも呼ばれて、線状の葉が垂れ下がる人気の品種だ。根本が徳利のように下膨れているのも愛らしい。
細長い葉っぱを、湿らせた雑巾で1枚1枚拭いていく。夏場だったらシャワーで埃を落とせるが、今みたいな寒い時期には、どうやら刺激が強過ぎるらしい。
そりゃそうだ。人間だって冬も水は飲むけど、ぶっかけられたら堪らないのだから。
「痛っ!」
トックリランの葉は、しなやかなようで意外と硬く、時折紙のようにスパッと切れる。そのおかげで、指先が傷だらけになっているのだ。
それでも手袋をしないのは、金髪店長がお客さんにしているアドバイスを聞いたからだ。
ちゃんと見ること。ちゃんと触ること。
このふたつが「緑の手」になるためには、近道だということ。
駅までの帰り道、お腹が何度もぐぅと鳴った。ひとりの部屋で、これから台所に立つ気力は残ってないが、なにか温かいものが食べたい。
そう思った瞬間、背後から肩を叩かれた。
「お疲れさま」
びっくりして振り返ると、金髪店長だった。
「慣れてきた?」
「まだわからないことだらけです」
「どのあたりが?」
そんな話の成り行きで、駅前の古い中華料理屋さんに誘われ、ラーメンを食べることになった。
店長がタンメンを頼んだので、わたしも同じものにした。待っている間のぎこちない空気が気まずくて、
「よく来るんですか?」
と聞いてみた。
「子どもの頃から」と素っ気ない返事があり、
「もう、飲めるんだよね?」
と、金髪店長は瓶ビールを傾けてくれた。
わたしは来月22歳だ。
ほろ苦さが、喉の奥に心地良い。
「なんでうちにバイト来たの?」
金髪店長が、質問ばっかで悪いけどと、わたしの空いたグラスにビールを注ぎ足した。
就活を終えて土日含めて週4日は入れる。22歳、体力はある。卒業までの数ヶ月の短い間だが、ぜひここで働かせて欲しい。履歴書持参で現れた謎の大学生を受け入れてくれたのはこの店長だ。
どう答えようか考えている間にタンメンが着丼した。
「とりあえず、食べようか」
店長が割り箸を取って渡してくれる。
「植物が育てられるようになりたかったんです」
湯気に包まれて、わたしはようやく言葉にすることができた。その瞬間、鼻水が溢れ出てた。
先月、半年前から同棲していた彼が出て行った。
その後すぐに、雑貨屋さんで一緒に買ったサボテンが枯れた。
なにが悪かったんだろう。
別にケンカをしたわけじゃない。水をやらなかったわけじゃない。わたしの嫌なところ、言ってくれたら直したのに。わたしは好きだったのに。
そんなことがぐるぐると堂々巡りして、自分は大切なものですら「keep」できない人間なのかと怖くなった。
初めての中華屋さんで、初めてごはん食べる人の前で、わたしはなんで泣いているんだろう。
あっという間に食べ終えた店長が、
「植物って、みんな違うんだよなぁ」
とポツリと言って、ティッシュを渡してくれた。
過保護でも放任でも、上手に育ってくれない。土の状態、根の張り方、葉のつき方もそれぞれ違う。毎日じっくり様子を見ながら、触れながら、相手との付き合い方を知っていく。そうしているうちに、飼い主のタイプに、植物が順応してくれることもある。
そして「それでも枯れるのは仕方がないよ」と言った。
思わず耳を疑うと、
「だからそんなビビらなくてもいいよ」
店長は残ったビールを全部、わたしのグラスに注いでくれた。
30半ばのときに、父親が突然亡くなって、園芸ショップを継いだ。そんなつもりはなかったけど、生き物を捨てるわけにはいかないと思ったから。だけれども、半分近くは、あっという間に枯らしてしまった。おかげで今の緑の手があるんだけど。
そう笑いながら、両手をひらひらとさせた店長の細い指にも、小さな傷がたくさんあった。
金髪店長。
わたしは、もう一度信じられる自分になりたかったんです。
サボテンを育てられるようになることが、その一歩のような気がしたんです。
我ながら小さな夢だと思いながらも、今の自分にとっては何より大事な夢だった。
店長みたいな緑の手を持った女性になれるだろうか。
ちょっと伸びてしまったタンメンは、じんわりと心に沁みる優しい味だった。
Written by Mariko Ogata

尾形真理子
クリエイティブディレクター/
コピーライター
おもな仕事に、LUMINE、資生堂、キリンビール、東京海上日動あんしん生命、日産自動車、
Tiffany&Co.など。
東京コピーライターズクラブ会員。TCC賞、朝日広告賞グランプリ他受賞多数。『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(幻冬舎)で、小説デビュー。
蜷川実花
写真家、映画監督
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映画『さくらん』(2007)、『ヘルタースケルター』(2012)監督。映像作品も多く手がける。2016年、台湾の現代美術館(MOCA Taipei)にて大規模な個展を開催し、同館の動員記録を大きく更新した。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。
関谷奈々
アートディレクター
ルミネ シーズンビジュアルの アートディレクターを2014年から手がける。他にNEWoManのロゴ開発、KOSE、サントリー、LAWSONなど、グラフィックからパッケージのデザイン、ロゴ開発まで幅広く手がける。
LALA TAKAHASHI
UNDERCOVERのデザイナーの父、元モデルの母を持つ17歳。
幼い頃より、トップクリエーターの感性とアートに触れてきたLALA。その独特のセンスと存在感で、モデルデビューするなり数多くのマガジンに出演し、it modelとして注目を集める。
注目は日本に留まらず、世界のメジャーなマガジンやメディアなどからのインタビュー、イベントやショーの出演など、世界で活躍中。
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