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CLASS ROOM

日常が変わっても、人類の旅は続いていく。

2020.07.10

世界中を歩き、旅を通して触れたその土地の歴史や文化をつづるトラベルカルチャー誌『TRANSIT』。7月のLUMINE CLASS ROOM LIVEでは、この雑誌で編集長を務める林紗代香さんを講師に迎えます。旅に行けなくなってから考えていたことや、旅がもたらしてくれるものについて聞きました。


公園に行くことが小さな「旅」になっていた

外出自粛期間によく公園に行っていたんですが、人がたくさんいて驚きました。東京の人にとっては、公園のように自然が豊かな場所は非日常空間です。たとえ近所でも、ちょっとした気分転換になるし、いつもと違う風景を見られる。こういう状況になると、人って、非日常を味わいたいっていう思いがすごく強くなるんだなと感じました。だから、奥多摩とか、江ノ島とかもにぎわっていたんじゃないでしょうか。

みんな、普段は行かない場所に行くことに、純粋な楽しさだったり、そこで得られる発見みたいなものを求めているはずです。人々にとって、公園に行くことはまさに「旅」のようなものになっていたのかもしれません。

人類は、何万年も旅をしてきたわけじゃないですか。アフリカで誕生して、大陸をわたって。きっとその旅を止めることはできないんですよね。移動することがDNAにも組み込まれているんだなって、すごく思いました。

「いいね」だけではない国の暮らしを伝えたい

最近は、SNS映えする写真を撮ることが旅の目的になっているような人もいますが、やっぱり旅って、日常とまったく別のものではないほうがいいと思うんですよね。旅でした体験は、結局は自分に返ってくるっていうか……学びとか気づきとか、それこそ反省でもいいんですけど、暮らしになにかしらいい影響を与えるようなものを、みんなどこかで旅に求めてるんじゃないでしょうか。

仕事で行く旅も、主観がなくなったら終わりだと思っていて。よく後輩に言っているのは、「自分の意見には正しいも間違ってるもないから、思っていることを偽りなく書きなさい」ということです。自分でなにを見て、なにを感じたかが重要だと考えています。

SNS映えする写真には、一瞬を切り取る瞬発力はあると思うんですけど、旅ならではの時間の流れって、そういうものじゃなかったりしますよね。だからこそ『TRANSIT』では、その国のリアルな暮らしだったり、「いいね」っていうところだけではない現実的なことも含めて紹介したいと思っています。

旅での体験を日常に持ち帰る

わたしと地元が同じである島崎藤村の言葉で、「空飛ぶ鳥も土を忘れず」というものがあって。おそらく“遠くにいても故郷を忘れていない”という意味なんですけど、これって旅にも当てはまると思うんです。旅をしていても自分の国や暮らしがあるという意識はずっとはたらいていて、だからこそ、旅の体験を日常に持ち帰りたいという思いはすごくありますね。

訪れた土地の文化や暮らし、たとえばそれはインテリアデザインかもしれないし、独自の思想や、あるいはいっさいビニール袋を使ってないっていうところかもしれない。水が貴重だったり、電気も通っていない場所に行くこともあるのですが、そういう生活を体験すると、ふだんの日本での生活に本当に感謝するようになるんです。

そして帰国してから、ふとしたときに「水がもったいないからすぐ止めよう」「少しだけゴミを減らそう」と考える。常にアフリカの難民たちのことを思いやることはできないけれど、ちょっとした行動はできるんじゃないかなって。旅をしている人は、そうした意識が自然と身についているように思います。

今、遠く離れたあの国で流れている時間

最近よく思い出していたことがあります。星野道夫さんの『旅をする木』っていうエッセイ集に出てくるエピソードなんですが、“今この瞬間、アラスカではくじらが悠々と海を泳いでいる。そういう時間の感覚を持てるかどうかで、ずいぶんと気持ちの在りようが変わってくる”というようなことなんですね。都市で忙しい日々を過ごしている一方で、そういう時間も存在しているんだよっていうことが言いたいんだと思います。そうやって地球上の遠い場所で流れている時間を想像するのって、すごく豊かなことだなって。

昔、カナダの山でひとりでキャンプをして、夜に雷が鳴ったんですね。でも翌朝、隣でキャンプを張っていた人が「あれは雷じゃなくて、氷河が崩れる音だよ」と教えてくれて、すごくびっくりしたんです。今も雷の音を聞くと氷河を連想しますし、夕方になって街に電気がつき始めると、以前訪れた電気が通っていない村のことを思い出したりします。ああ、ミャンマーのあの民族の人たちは、もう寝てる時間だなとか。日常生活の中に世界の時間が入り込んでくることで、気持ちが豊かになる気がします。

自分と他人との違いを受け入れること

旅をする人は、自分と他人の違いというものをわかっている気がします。たとえばインドでは、人々はヒンドゥーの世界で生きていて、わたしたちとは価値観がまったく違うじゃないですか。でも、旅の間は彼らとうまくコミュニケーションをとって生活しないといけない。そういうときに、自分が正しいなんて思わずに、他人との違いを認めることがまず大事だと感じるからではないでしょうか。

わたしは旅を続けておおらかになりました。旅先だと、腹立たしいことがあってもいちいち怒っていられない。「この国は時間にルーズだからしょうがないか」とか、受け入れちゃうようになったんですよね。

旅はいろんなものを与えてくれます。自分を強くしたり、勇気をもらったり、成長を実感したり。それらは、日常のなかでなにかを判断するときの材料になっていく。
旅というのは、そうやって人生の選択肢を増やしていく行為かなと思っています。

旅の本質は、これからも変わらない

外出自粛期間の最初の頃は、丁寧な暮らしをする時間があることがうれしくて。三食ちゃんとご飯を作り、1日1カ所集中的に掃除をして、散歩をして……あと、クッキー作りにもハマりました。でも、だんだんマインドが変わっていきました。暮らし以外のことも考えたくなっちゃって、やっぱり旅に行きたいなとか、そういうモードになっていったんです。世界の人々や風景を収めたTRANSITの写真集があるんですが、それを眺めていろんな場所へ思いを馳せていました。

これから、旅はどうなっていくんでしょうか。移動が推奨されないうちは、週末を使って台湾においしいものを食べに行こうとか、ふらっと出かけるような旅は少なくなるのかもしれません。知りたいことや学びたいことがあるなど、もうちょっと目的がはっきりしてくるのかな。

それでも、知的好奇心を叶えるような旅は、これからも変わらず求められていくはずです。移動すること、旅をすること。人類にその本能があるかぎり、旅の本質は変わらないと思います。


林さんおすすめの「暮らしをもっと楽しくしてくれる一冊」
『一千一秒物語』著:稲垣足穂(新潮社)

「時間も空間も超えて、(月や星をモチーフにした物語が多いということもありますが)銀河の果てまで旅をしているような気分になる、稲垣足穂の短編集。荒唐無稽ともとれるストーリーなのですが、平然とした硬質な筆致にはリアリティもあって、想像力をかきたてられるのです。自分がいまみている世界のほうが、もしかしたらパラレルワールドなのかもしれない。日常で出合う不可思議なことも、決して幻なんかじゃない。そんな気分にさせてくれる一冊です」


<プロフィール>
林紗代香(『TRANSIT』編集長)
岐阜県生まれ。『TRANSIT』の前身となる『NEUTRAL』に創刊時より参加。その後『BIRD』編集長など、いくつかの雑誌編集部を経て、2016年よりトラベルカルチャー誌『TRANSIT』に参加し編集長を務める。2019年秋、TRANSIT初となる2冊の写真集を発売。現在、「美しき古代文明への旅」特集の最新号が発売中。

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